精索静脈瘤術後から退院まで
体外受精(顕微授精)をするも、ダメで絶望的になっていたそんな時、
一人目を奇跡の自然妊娠で授かった。
これで一安心と思いきや、
その後、妻が二人目欲しいと言いだし、
現在、妊活中。。。
前回、精索静脈瘤の手術当日の事を書いたのですが、
今回は、術後から退院までの事を書きます。
今、このブログを書いている時点では、術後1ヶ月以上経っているので、普通に生活出来ているのですが、術後一週間後ぐらいまでは、結構厳しかったです。
術後当日の夜、酸素マスクを外してもらった後、
自分で持ってきたウィダーインゼリーの様なゼリー飲料(イオンの安いヤツ)や、
カロリーメイトの様な固形食品(イオンの安いヤツ)を食べ、
ポカリをごくごく飲みながら、
イタイのイタイノトンデイケと念じていた。
夜の間も、痛みは続いてはいたが、多少寝ることは出来たのは幸いであった。
ただ、たまに、トイレに行きたくなり起きると、なかなか眠れない。
病院内は、家と違って、寒くなく快適ではあったが、
ベットの毛布をかぶると暑い、かといって、
なんとなくではあるが、毛布を掛けないと寝付けない。
点滴をしているので、病院の部屋が暑いと感じても服を脱いだりする事が出来ない。
点滴を付けながら、重ね着した服をどうしたら脱げるかと、悪戦苦闘している所に、
定期的に巡回して下さっている看護師さんがやってきた。
時刻は3時ぐらいであったと思う。
看護師さん:「大丈夫ですか?」
ヘロヘロ:「服を脱ぎたいのですが、なかなかうまく脱げなくて・・・」
看護師さん:「点滴つけているので、ムリしないで下さい」
そう言って、看護師さんは、ひょいと点滴を持ちながら、私の服を脱がしてくれた。
ヘロヘロ:「ありがとうございます!」
看護師さん:「夜でも、起きているので、遠慮しないで下さいね」
「何かあったら、ムリしないで、遠慮無く、ナースコールで呼んで下さい」
いや~、看護師さん優しい・・・
それに引き替え・・・と考えるのは、止めにししつつも、
あれこれ、妄想しているうちに、朝になった。
私が入院していた病室は、4人部屋なのだが、
年齢層は、高め。私以外は、おじいちゃんばかり。
看護師さんとの会話を聞く限り、
病名までは分からないが、泌尿器科にお世話になっているのは共通しているようだ。
朝食の時間になり、
動ける人は、自分で移動し、食事をベットに持ってくるか、
別な所で食べる事にと、アナウンスが流れた。
今、このブログを書いている時点では、術後1ヶ月以上経っているので、普通に生活出来ているのですが、術後一週間後ぐらいまでは、結構厳しかったです。
術後当日の夜、酸素マスクを外してもらった後、
自分で持ってきたウィダーインゼリーの様なゼリー飲料(イオンの安いヤツ)や、
カロリーメイトの様な固形食品(イオンの安いヤツ)を食べ、
ポカリをごくごく飲みながら、
イタイのイタイノトンデイケと念じていた。
夜の間も、痛みは続いてはいたが、多少寝ることは出来たのは幸いであった。
ただ、たまに、トイレに行きたくなり起きると、なかなか眠れない。
病院内は、家と違って、寒くなく快適ではあったが、
ベットの毛布をかぶると暑い、かといって、
なんとなくではあるが、毛布を掛けないと寝付けない。
点滴をしているので、病院の部屋が暑いと感じても服を脱いだりする事が出来ない。
点滴を付けながら、重ね着した服をどうしたら脱げるかと、悪戦苦闘している所に、
定期的に巡回して下さっている看護師さんがやってきた。
時刻は3時ぐらいであったと思う。
看護師さん:「大丈夫ですか?」
ヘロヘロ:「服を脱ぎたいのですが、なかなかうまく脱げなくて・・・」
看護師さん:「点滴つけているので、ムリしないで下さい」
そう言って、看護師さんは、ひょいと点滴を持ちながら、私の服を脱がしてくれた。
ヘロヘロ:「ありがとうございます!」
看護師さん:「夜でも、起きているので、遠慮しないで下さいね」
「何かあったら、ムリしないで、遠慮無く、ナースコールで呼んで下さい」
いや~、看護師さん優しい・・・
それに引き替え・・・と考えるのは、止めにししつつも、
あれこれ、妄想しているうちに、朝になった。
私が入院していた病室は、4人部屋なのだが、
年齢層は、高め。私以外は、おじいちゃんばかり。
看護師さんとの会話を聞く限り、
病名までは分からないが、泌尿器科にお世話になっているのは共通しているようだ。
朝食の時間になり、
動ける人は、自分で移動し、食事をベットに持ってくるか、
別な所で食べる事にと、アナウンスが流れた。
立ち上がって、食事を取りに行こうとする私であったが、
看護師さんから、ムリしないで下さい。持ってきますねと言われて、
そのまま、ベットに食事を持ってきてもらい、朝食を取った。
その後、泌尿器科の先生がやってきて、問診。
看護師さんから渡された体温等のデータを先生が確認しながら、
先生:「どうですか、痛みは?」
ヘロヘロ:「お陰様で、大分良くはなったのですが、まだ、お腹周りが痛いです」
先生:「ズキズキっていう痛みですか?」
ヘロヘロ:「そうです」
先生:「傷の具合を見てみましょう」
「お腹を確認したいので、服をへその上まであげてください」
(へそと、その両サイドの傷口を軽く触診した後、
傷口にかぶせてある、大きな絆創膏を剥がして)
「傷口、大丈夫ですね」
先生:「気持ち悪くは無いですか?」
ヘロヘロ:「お陰様で、大丈夫です」
先生:「今日、今やっている点滴が終わったら、退院して頂いて大丈夫です」
「お風呂も、明日から大丈夫です。今日は、シャワーだけにしてください。」
「退院後、4日目ぐらいまでは、防水タイプの絆創膏をしておいてくださいね」
「その後は、剥がして頂いても大丈夫です」
ヘロヘロ:「痛みは、どのくらい続きますか?」
先生:「人にもよりますが、一週間ぐらいですかね」
ヘロヘロ:
(おい!手術するかどうかの話の時は、
三日ぐらいって言っていなかったか?!)
「明日から、仕事をしようと思うのですが、大丈夫ですか?」
先生:「デスクワークならば大丈夫ですよ」
「力仕事はダメですけれど・・・」
ヘロヘロ:「デスクワーク主なので・・・」
その後、先生に会釈をし、先生は、私の隣のベッドの患者さんの所へ移っていった。
隣の方も、退院が決まったようだ。
その患者さんは、退院が決まった事を家族に電話したようで、
その後、すぐに、家族が来て、
退院の事務手続きの説明を受けた後、荷物を一緒に持って、病室を出て行った。
私の方は、退院出来ると言われても、
なんというか、うれしい!といった感情は無く、
この痛みはいつ消えるのか?と、
そればかりを考えていた。
どこが痛いかというと、お腹周り。
なぜか、タマタマは、痛くないのだが、
イメージとしては、腹筋をやり過ぎて、動けない感じ。
それと、なんとなく、体に力が入らない。
こんな状態ではあったが、刻々と時は流れ、最後の点滴を受けながら、
退院の為の事務手続きの説明を事務員さんからベットで受け、
退院出来るのは、12時頃と告げられた。
その日は、妻が仕事で、迎えに来てもらえない事が分かっていたので、
私の頭は、タクシーで帰るか、義父(妻の父)を呼ぶか、どうするかを考えていた。
私は、妻の実家に同居しており、義父母(妻の両親)の性格が分かっているので、
なんとなく、義父を呼ぶのが気が引ける。
義父は、いい人なのだが、非常にせっかち。
12時頃に退院というと、11時頃に待っているような人。
私がお世話になっているこの病院は、時間があまり読めない。
予定の時間よりも2時間ぐらい待たされる事がざら。
あれこれ、考え、結局、退院手続きが完了してから、
義父に電話をし、呼ぶことにした。
一人で、悪戦苦闘しながら着替えをし、
着替えと食料の入ったバックを持って、
ナースステーションの看護師さんに御礼を言って、病棟を出た。
その際、看護師さんから、
「ご家族は?」
と聞かれ、
「迎えに来てくれるような、嫁じゃ無いです」
と言いたい気持ちを抑え、愛想笑いをし、一人で出た。
問題は、ここから、
病棟と会計をする場所が離れていて、歩くのがつらい。
しかも、荷物がおもい。。。
点滴は外してもらって、
パジャマから、普段着になっているので、
格好は、普通の人なのだが、明らかに歩き方が変。
この人大丈夫か?といった目で周囲の人に見られながら、
会計窓口まで、移動し、精算し退院手続き完了。
義父に、迎えに来てもらうようにお願いの電話をし、
病院で待機。
なんだかんだで、病院を出たのは13時過ぎとなった。
帰宅途中、義父に、
「食事は特に制限は無いのか?」
と聞かれ、
「はい」と答えると、
蕎麦屋に途中寄って、義父に、ごちそうになった。
普段であれば、蕎麦は好きなのだが、
その日は、お腹周りが痛くてしょうが無かったので、
私の本当の気持ちとしては、早く横になりたい。。。
というものであった。
義父から、
「どうだ、この店の蕎麦、うまいだろ?」
と言われ、
「はい・・・」と言うのが精一杯だった。
私の歩き方を見て、義父もやっと状況を理解したようで、
その後、寄り道をせずに、まっすぐ家に帰り、
そのまま、布団に入り横になって、一日を過ごした。
結局、シャワーも浴びず、翌朝まで、痛みに耐えられず、
痛み止めを決められた時間をおいて飲みつつ、
文藝春秋を読みながら、ただ、ゴロゴロしていた。
妻が仕事から帰ってきて
私がトイレに行くのに辛そうに歩いている姿を見て、
「大丈夫?」
「明日、仕事休めば?」
と言ってくれたのを聞き、
しまった。。。
翌日、仕事だが、大丈夫か???俺と思いつつ
「大丈夫」
そう答えて、又、すぐに横になった。
看護師さんから、ムリしないで下さい。持ってきますねと言われて、
そのまま、ベットに食事を持ってきてもらい、朝食を取った。
その後、泌尿器科の先生がやってきて、問診。
看護師さんから渡された体温等のデータを先生が確認しながら、
先生:「どうですか、痛みは?」
ヘロヘロ:「お陰様で、大分良くはなったのですが、まだ、お腹周りが痛いです」
先生:「ズキズキっていう痛みですか?」
ヘロヘロ:「そうです」
先生:「傷の具合を見てみましょう」
「お腹を確認したいので、服をへその上まであげてください」
(へそと、その両サイドの傷口を軽く触診した後、
傷口にかぶせてある、大きな絆創膏を剥がして)
「傷口、大丈夫ですね」
先生:「気持ち悪くは無いですか?」
ヘロヘロ:「お陰様で、大丈夫です」
先生:「今日、今やっている点滴が終わったら、退院して頂いて大丈夫です」
「お風呂も、明日から大丈夫です。今日は、シャワーだけにしてください。」
「退院後、4日目ぐらいまでは、防水タイプの絆創膏をしておいてくださいね」
「その後は、剥がして頂いても大丈夫です」
ヘロヘロ:「痛みは、どのくらい続きますか?」
先生:「人にもよりますが、一週間ぐらいですかね」
ヘロヘロ:
(おい!手術するかどうかの話の時は、
三日ぐらいって言っていなかったか?!)
「明日から、仕事をしようと思うのですが、大丈夫ですか?」
先生:「デスクワークならば大丈夫ですよ」
「力仕事はダメですけれど・・・」
ヘロヘロ:「デスクワーク主なので・・・」
その後、先生に会釈をし、先生は、私の隣のベッドの患者さんの所へ移っていった。
隣の方も、退院が決まったようだ。
その患者さんは、退院が決まった事を家族に電話したようで、
その後、すぐに、家族が来て、
退院の事務手続きの説明を受けた後、荷物を一緒に持って、病室を出て行った。
私の方は、退院出来ると言われても、
なんというか、うれしい!といった感情は無く、
この痛みはいつ消えるのか?と、
そればかりを考えていた。
どこが痛いかというと、お腹周り。
なぜか、タマタマは、痛くないのだが、
イメージとしては、腹筋をやり過ぎて、動けない感じ。
それと、なんとなく、体に力が入らない。
こんな状態ではあったが、刻々と時は流れ、最後の点滴を受けながら、
退院の為の事務手続きの説明を事務員さんからベットで受け、
退院出来るのは、12時頃と告げられた。
その日は、妻が仕事で、迎えに来てもらえない事が分かっていたので、
私の頭は、タクシーで帰るか、義父(妻の父)を呼ぶか、どうするかを考えていた。
私は、妻の実家に同居しており、義父母(妻の両親)の性格が分かっているので、
なんとなく、義父を呼ぶのが気が引ける。
義父は、いい人なのだが、非常にせっかち。
12時頃に退院というと、11時頃に待っているような人。
私がお世話になっているこの病院は、時間があまり読めない。
予定の時間よりも2時間ぐらい待たされる事がざら。
あれこれ、考え、結局、退院手続きが完了してから、
義父に電話をし、呼ぶことにした。
一人で、悪戦苦闘しながら着替えをし、
着替えと食料の入ったバックを持って、
ナースステーションの看護師さんに御礼を言って、病棟を出た。
その際、看護師さんから、
「ご家族は?」
と聞かれ、
「迎えに来てくれるような、嫁じゃ無いです」
と言いたい気持ちを抑え、愛想笑いをし、一人で出た。
問題は、ここから、
病棟と会計をする場所が離れていて、歩くのがつらい。
しかも、荷物がおもい。。。
点滴は外してもらって、
パジャマから、普段着になっているので、
格好は、普通の人なのだが、明らかに歩き方が変。
この人大丈夫か?といった目で周囲の人に見られながら、
会計窓口まで、移動し、精算し退院手続き完了。
義父に、迎えに来てもらうようにお願いの電話をし、
病院で待機。
なんだかんだで、病院を出たのは13時過ぎとなった。
帰宅途中、義父に、
「食事は特に制限は無いのか?」
と聞かれ、
「はい」と答えると、
蕎麦屋に途中寄って、義父に、ごちそうになった。
普段であれば、蕎麦は好きなのだが、
その日は、お腹周りが痛くてしょうが無かったので、
私の本当の気持ちとしては、早く横になりたい。。。
というものであった。
義父から、
「どうだ、この店の蕎麦、うまいだろ?」
と言われ、
「はい・・・」と言うのが精一杯だった。
私の歩き方を見て、義父もやっと状況を理解したようで、
その後、寄り道をせずに、まっすぐ家に帰り、
そのまま、布団に入り横になって、一日を過ごした。
結局、シャワーも浴びず、翌朝まで、痛みに耐えられず、
痛み止めを決められた時間をおいて飲みつつ、
文藝春秋を読みながら、ただ、ゴロゴロしていた。
妻が仕事から帰ってきて
私がトイレに行くのに辛そうに歩いている姿を見て、
「大丈夫?」
「明日、仕事休めば?」
と言ってくれたのを聞き、
しまった。。。
翌日、仕事だが、大丈夫か???俺と思いつつ
「大丈夫」
そう答えて、又、すぐに横になった。