男性不妊から自然妊娠、その後。。。 ヘロヘロの記録

男性側が書いた不妊治療の記録。今は、自然妊娠で出産した二人の子どもがいます。一度、ブログを閉鎖したのですが、復活しました。

いじめについて

大津のいじめ事件のニュースを見ていて、
今から20年以上前の
自分の中で、消去していた記憶が再び顔をだしてきた。

それは、私が小学生の頃。。。
私は、いじめられっ子だった。

いじめの場所は、登校班。
当時、集団登校をしており、その際、ランドセルを後ろから蹴られる。
肥だめに落とされるといったものであった。

なぜ、いじめられたかというと、
私の父が、今は珍しい近所の頑固親父てきな人で、
「このガキがコラッ!」と、誰でも構わず怒鳴り、
さらに、それでも、それでも止めないと、鉄拳制裁。。。

あそこの親父コワイなで終われば済めば良かったのだが、
そのはけ口が、私に来てた訳である。

ある日、ランドセルに足跡がついているのを父が見て、
気性の荒い父は、私に誰がやったのか言えと要求。
後ろからだったから、見えないと私が言うと、
蹴りそうなやつぐらい分かるだろう?と怒りながら言って、
それでも分からないと言うと、
登校班の全員を呼んでこいと言われた。。。

いじめられっ子が、いじめっ子を呼ぶなんて、それは大変な事。
リストラをされてるのに、会社へ行くふりし、公園で時間をつぶすラリーマンの様に、
外で、テキトウに時間をつぶし。
帰宅。
父に「みんな、家にいなかった」と報告した所、

父は、それで、家に帰ってくるとは、お前は根性が無い、
何が何でも探してこいと怒られ、
泣きまくっていると、父が一緒に、いじめっ子の家へ片っ端から行き、
いじめっ子達を、私の家へ強制連行。

その後、家では、
「このランドセルの足跡は誰だ?蹴ったのは誰だ?」
「お前か?」と一人一人、父が目をにらめつけながら、問うが、
誰も手を上げるものはいない。

その後、父は玄関先のをランドセルの足跡に照らし合わせ、
「これか?」と大声を上げながら、一足ずつ、確認をしていく。
そして、サイズ、模様が合致した靴が分かったところで、
「この靴は誰のだ?」と言うが、誰も答えない。

「誰の靴でも無いんだな」と数回くりかえしたところで、

「僕のです」との答えがあり、

お前か〜!と父は殴りかかり、
そこで、父を皆が止めにかかり、
その間に、僕のですと答えた少年の弟が、自分の家に行き、親を呼んできた。

「うちの子に何をするんですか!?」と靴の少年の親が、私の家へ来て、
父に対して、言い、
その後、話し合い。。。約2時間ぐらいだった気がする。

少年の親は、
「うちの子は、そうい事をする様な子じゃ無い」と必死に子どもをかばっていた。

結局、双方の親が譲らず、ただ時間だけが経過し、
その日は終わった。

その後、父に、ボコボコに殴られた。
理由は、「お前が弱いからだ」との事。

私にとって、家も安心できる場所では無く、恐怖の場所であった。

さてさて、これでいじめは、終わったかというと、終わったわけでは無く、
さらにエスカレート。

この先は、まだまだあるのだが、
所要があるので、今日は、ここまでで、筆を置く。


いじめの解決って難しい。

でも、その時、希望があれば、
変な言い方かも知れないが、希望に逃げる事が出来る。

私のその頃の希望は、早く中学校に行きたい。
中学に行けば、集団登校も無く、登校班が無い。
それが、希望というか逃げ口だった。

今、考えれば、登校班でいじめられてたんだから、
はじめっから、そんなの無理せず、一人で学校に行けば良かったと気づいたのは、
大人になってから。。。


子どもがうまれたら、いじめられっ子にも、いじめっ子にも、
そして、ただ、それを見ている子にもなって欲しくは無い。

困っている人がいたら助けられる様な、子になって欲しい。。。

いじめた方は覚えていないかも知れないが、
いじめられたという記憶、殴られたという記憶はずっと残っている。


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